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電話0566-55-4040 碧労務管理事務所 社労士鳥居靖まで

プロフィール

プロフィール

事務所概要

社会保険労務士 鳥居 靖
愛知県碧南市出身
1972年生まれ
愛知学院大学商学部卒業
社会保険労務士事務所勤務後、平成12年社労士試験に合格し、平成13年8月に当事務所創業
創業後、刈谷労働基準監督署にて総合労働相談員、就業規則等点検指導員を歴任し、在任中は労働相談は1000件以上に達し、就業規則についても刈谷管内の事業所に関して数えきれない数を点検指導をした

事務所名 碧労務管理事務所
(みどりろうむかんりじむしょ)
所在地 愛知県安城市高棚町芦池122‐3
〒446-0053
電話 0566-55-4040
FAX 0566-55-3327
メールアドレス midoriroumu@gmail.com
代表者 鳥居 靖
創業 平成13年8月
事業内容 社会保険労務士業
職員数 社労士1名、職員3名 計4名
主要顧問先 製造業 飲食業  医療業
介護業 クリーニング業 
ビルメンテナンス業
建設業 士業 サービス業
主な対応エリア 碧南市 高浜市 安城市 刈谷市 西尾市 その他近隣の市町村

社会保険労務士 鳥居 靖 プロフィール詳細


1.幼少期から大学卒業まで
 小学校中学校時代ですが、碧南市の西端学区は少し特殊な地区で、中学校まではエスカレーター式でずっと同じ顔ぶれです。具体的に言うと、幼稚園から小学校に上がる時に他の幼稚園と一緒になるとか、小学校から中学校に上がる時に他の小学校と一緒になるとかがなく、生まれた時から中学卒業するまでずっと同じ顔ぶれで学校生活を送ります。当時男女合わせて1学年160名ほどいたと思いますが、それでもすべての人と同じクラスになったわけではなく、ずっと縁のなかった人もいました。
 小学校の頃の一番の思い出は、生徒会長に立候補したことです。複数立候補者が出たため、ポスターを貼ったりして選挙活動をして立会演説会もありました。演説会ではずっと足が震えていたことを今でも覚えています。普段は大変大人しいタイプの子供でしたが、変なところで目立ちたかったようです。選挙には残念ながら落選しました。
 中学校では軟式テニス部に入部しました。なぜ軟式テニス部に入部したかは覚えていませんが、おそらく友達が入部するから一緒に、という感じだと思います。軟式テニスは、前衛(主にコートの前線に立ってスマッシュをする人)、後衛(主にコートの後方でラリーをする人)と分かれていて、私は後衛でした。部活は好きで頑張っていましたが、いわゆる一軍にはなれませんでした。
 勉強のほうは特に好きでも嫌いでもなく、成績も中の上、上の下程度でした。音楽の成績が良くなく、親に強制的にピアノ教室に音楽の勉強に行かされたことを覚えています。塾に行くからテレビが見れない、といってビデオを買ってもらいました。今思うと甘やかされて育っていたと思います。主にスケバン刑事(南野陽子)を撮っていたと思います。
 高校は刈谷高校ですが、当時はまだ学校群制度で、刈谷と刈谷北とどっちにいくことになるかわからない制度でしたが、運良く刈谷高校になりました。大した経歴がない今となっては、刈高卒はとてもいい響きです。高校時代は、特に勉強するわけでもなく部活をするわけでもなく、いわゆる帰宅部で、学校の成績もいつも460人中、400番代でした。家業が鉄工所だったため、特に考えもせず理系クラスを選択しましたが、数学、物理は全くダメで、かと言って、英語や歴史が好きなわけでもなく、結構赤点をとって追試や補講を受けていたと思いますが、あまり覚えていません。
 高校時代に馬が好きになり、まあ競馬なんですが、当時はオグリキャップの出現で、いわゆる競馬ブームが起きていて、中京競馬場にも友達と一緒に競馬を見に行っていました。まあ時効だと思いますが、競馬場で場内警備員に「年はいくつだ?」と質問をされ注意されたことを覚えています。大人から見たら高校生かどうかなんてすぐわかりますよね。オグリキャップ、サッカーボーイ、ヤエノムテキ、スーパークリーク、タマモクロス、メジロアルダン、サクラホクトオーとか、そのあたりは本当に好きでしたね。
 馬好きが高じて、大学は馬術部がある大学を選びました。というか、460人中400番代ですから、受かる大学等なかったのですが、本当にたまたまひとつだけ受かったところが愛知学院大学商学部で、馬術部があったので本当に入部しました。
 大学時代は、馬術部オンリーです。馬術部の練習場が大学内にあったことから大学には毎日行っていましたが、授業はまあそれなりでした。そのおかげで1年生のときは8単位しかとれず、2年から3年に上がる際に一定単位を取っていなければならないという条件があるのですが、それもギリギリで4年生になっても結構授業を受けなければならず、ずっと苦労しました。こうして振り返ってみると、わりと落ちこぼれの人生ですね。
 馬術部は思っていた以上にたいへんでした。馬の世話は部員でやらなければならず、週1回の宿直当番もありました。厩舎に泊まって馬に夜ご飯や朝ご飯をあげたりする当番です。馬術部の練習は、早朝で学校の授業が始まる前です。朝7時からとか、コーチが来るときは6時からとかもありました。電車で通学していた1年生の頃は、朝一番で学校に行けるのが7時過ぎになるので、必然的にその時間にしかいけないのですが、それでも起きる時間は5時で、車で通学できるようになってからは、6時からの練習であれば4時半起きで学校に向かっていました。冬場の4時半は結構厳しかったです。
 馬術部というと、お金がかかって実はおぼっちゃまではないかというふうに思う人もいるのですが、大学の馬術部は部費としてお金を納めるということはなく、その代わりと言ってはなんですが、馬術部としてのバイトがありました。乗馬クラブでのエサやりと中京競馬場開催時の競馬場でのバイトです。中京競馬場のバイトは、馬術部ならではのバイトで、レース中などに落馬した馬を止める係員でターフのいたるところに隠れてそのときを待っている仕事です。他にも、レース後の馬の目を洗う仕事もありました。馬や騎手を間近でみることができる本当に馬術部ならではのバイトで楽しかったです。
 馬術部ではこれまたなぜが主将をやることになり、まあ実は立候補したんですけど、意外とリーダーシップを取りたい人だったのか、自分の人生の中でも馬術部での経験はとても貴重で、その後の人生にも大きな影響をもたらしたそんな時間だったと思います。
 就職活動は、地元企業で信用金庫やスーパー等を探していましたが、特に漠然としており、実家が鉄工所で自営だったため、自分もいずれ自営業をやりたいという気持ちもあり、大学の授業で社会保険労務士という資格が紹介されていたことから、社会保険労務士になろうと思って、地元の社労士事務所に就職しました。ここからが社労士人生の始まりです。

2.社会人となって開業するまで
 大学卒業後、そのまま社労士事務所に就職しました。先生、奥さんと職員が5名ほどの事務所でした。今思うと、大学卒業して最初の会社くらいは、もう少し大きな規模の会社に就職したほうがよかったかなと思います。その事務所は1年足らずで辞めてしまいました。今ふうに言うとメンタル不全というか、メンタルが弱かったですね。小さな事務所の中で、一挙手一投足を監視されているような気分になってしまったのと、同じくらいの年齢の先輩が私が入ってからまもなく辞めてしまったこともあり、なんとなく孤立していたというか、うまく適応できませんでした。退職後は、警備員や山崎パンのバイトや実家(鉄工所)の手伝いなど、特に目標もなくフラフラしていました。長く続いたのはパチンコ店の店員で、バイトのつもりで入社したのですが、社員にしてもらい5年近くいました。当時はおしゃれなパチンコ店の出始めで、AパンでF1の曲がよく流れていた時代です。その店もその当時ではおしゃれな新しいお店でした。従業員も若く色々な人がいましたね。本当にピンキリでいわゆる旧帝国大学を卒業している人から北海道や沖縄から出稼ぎに来ている人、また出所?してきた人など、本当にいろいろな人が混在している会社でした。
 社員全体としては若いメンバー構成であったため、それほど経たずに役職等も付けてもらい、楽しくというか何不自由なく勤めていました。その時に教えてもらったのがゴルフで、それ以来、今でもゴルフは一番の趣味となっています。若かったですし、早番遅番制度で自由になる時間はそれなりに多かったと思いますので、打ちっぱなしの練習にはよく行きました。始めた当初は西尾ゴルフクラブの水曜日セルフにもよく行きました。腕前は今でもそれほど上達していませんが、この時ゴルフに出会えて本当に良かったと思います。
 勤めて何年か経った頃から、ずっとこの仕事をしていくのはどうかな?という不安というか疑問というか、いつまでも続ける仕事ではない、というふうに漠然と思っていて、再度、社労士に挑戦することにしました。在職中に2度、パチンコ店に勤める前に1度、合計3度挑戦しました。まあ誰にも公表せずに独学で勉強していましたので、本当の意味で身が入っていなかったのだと思いますが、合格ラインまでにいつも2、3点は足りませんで、実力的にも合格圏内にはなかったと思います。30歳までにはきちんとした職につきたいと思っていたのと、弟が結婚したこともあって、その思いがますます強くなり、これが最後の挑戦と決めて、3月頃に退職して勉強に専念しました。最後の挑戦と決めて、4度目の社労士試験に臨みました。ダメなら家業の鉄工所をやるしかないという感じでした。今思うと、両親もそこまで特にうるさく言うことなく、鉄工所を継げ!みたいなことを言われることもなく、よくここまで好き勝手にやらせてくれたものだと感心します。今となっては感謝しかありません。
 さて、4度目の挑戦ですが、これがまぐれで合格してしまったんですね。結構これまでもまぐれで、刈谷高校に合格したり、愛知学院大学に合格したり、意外とまぐれ当たりの人生で、社労士試験も4度挑戦しましたが、まぐれで合格することができました。合格したからには、開業するということで、何も開業後のビジョンもないまま、事務指定講習を経て、2001年8月に開業登録したのでありました。

3.開業から現在まで
 2001年(平成13年)8月に開業しました。お客も見込み客も何もないゼロからの状況でした。営業経験もなく、社労士としての経験も1年程度しかありませんでしたので、実質ゼロに近い状況でした。振り返って考えると、29歳で独立開業した状況としては、まったくもって情けない状況で、世間知らずの日本代表みたいな状況でした。すこしばかり貯金があったことと結婚していなかったため、すぐに困った状況にはならず、それが良かったというか、悪かったというか、まあホントに恥ずかしい状況でした。
 それでも求人チラシを出している会社などへダイレクトメールや電話帳などでFAX番号を調べてFAXDM等を見よう見まねでやって、その年の8月から12月までの売り上げは合計20万円程度だったと思います。飛び込み営業もやろうと、車で出かけるのですが、到底そんな度胸もなく、せいぜい作ったチラシをポストにいれて逃げる、みたいなかっこよく言えばポスティングをやりましたが、成果はでなかったと思います。
 割と早い時期からホームページも作成しました。今に比べたら、まだまだホームページは出始めというか初期段階でチープな内容のホームページでしたが、それでも何件か成約に至ったと思います。当時から戦略的にホームページを活用していればもう少し顧問先が増えたと思いますが、まあ行き当たりばったりでしたので、それほど多く成果は上がりませんでした。
 ほかには、小中学校の頃の同級生と士業団体の会合でばったり会って、まあその子は税理士をやっていたのですが、その税理士の同級生から何件も紹介していただいてたいへん助かりました。その再会がなければもっと苦しい状況だったと思います。本人にはなかなか言えないですが、本当に感謝しています。
 
つづきはまたアップします



現在の事務所目標 2019年4月達成
1.年商3,000万円達成
2.職員5名体制(社労士有資格者含む)
3.顧問、関与件数100件以上


以上、目標に向かって邁進中です。応援よろしくお願いします!



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社会保険労務士 鳥居 靖

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